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2005年7月16日 (土)

人ひとり恋ふるかなしみならずとも夜ごとひそかにそよぐなよたけ

  永井陽子『なよたけ拾遺』より。

 このたび、永井さんの全歌集を購入した。永井さんの歌集はほとんど持っていたから、全歌集を購入することに正直、少し抵抗があったけど、持っていない歌集や、索引等を考えると資料的価値は大きいと思うし、なにより、一冊になったすべての作品を手元に置いておきたいと思ったし、置いておくべき歌人であろうと、おこがましいけど思う。
 もっとも・・同じ結社であったけど、わたしは永井さんのいい読者ではなかった。永井さんは優れた歌人であったと思うけど、ごく単純に歌の相性というかそういうものが私とは多少合わなかった。相性は相性であって、これは運命的なものでもあり、いたしかたない。歌会などの批評を聞いていても納得できないときが何回かあった。もう少し自分に力があったのであれば、突っ込んで議論をしたかった、そんな心残りもあるけれど、私などと議論をするというより、もう少し遠いところに永井さんはいて、違うところを見ていた人という気がする。議論や批評という喧騒から、すっと、きびすを返して去っていってしまいそうな強さとはかなさを持っていた人でもあった。

 この『なよたけ拾遺』は、まだ初心の頃、短歌人の先輩からいただいた。自歌集の謹呈とかでもなければ、それなりに評価されている歌集、それも昔にでた歌集というのはとても貴重で、そんな歌集をもらうなんてことはめったにないことで、これはめずらしいことだった。そんなめずらしい経緯で入手した歌集を読んで、初心者の私はごくごく素直に、二十代半ばでこれだけ洗練された完成された作品をつくれるものなんだなあと驚嘆した。

 永井さんの歌には、どこかメルヘンチックであったり、中世的なイマジネーションがあったり、というような良くも悪くも現実社会からどこか離れたような感じがある。たとえば表出歌にある「恋」にしても、現実の恋愛とか性愛とはクロスしない。
 ただそれでも私はやはりこの歌の「恋ふ」という言葉の響きにはこころ惹かれてやまない。
 「恋ふ」は「愛する」とも違う。
 
 いさよひの月掻きいだく手のなかにひとのやうなる影あるばかり
 一首前にこの歌があるけれど、「恋ふ」というのは、まさに影のような月を掻きいだくような心情であり、けっして、影ではない「実」へいたるものではない。掻きいだいても掻きいだいても、影あるばかり。
 表出歌の「恋ふ」はある種、概念としての「恋」であり「恋ふ」であるけれど、みずからの影とともにそよぐなよたけのイメージに普遍化された「恋ふことのかなしみ」が感じられる秀歌だと思う。

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