とろとろと瓦斯燃えてゐて夕方の軽き目まひをわが踏みしめる
森岡貞香『白蛾』。
瓦斯という言葉・表記にどうしてもレトロな新鮮味を感じてしまうというのは、今の感覚でこの歌を読んでいるということで、正しい感じ方ではないのかもしれない。
しかし、現在のガス機器の火と、むかしの瓦斯の火は、何か違うような気もする。自分自身が子供の頃の、台所の瓦斯の火。たしかにあれはとろとろと燃えていたように思う。
いまのガスの火というのは、もっと強く、ばっという感じで燃えているような気がする。
どこかはかなげなそれでいて火というものの根源的な力を感じさせるような瓦斯の火。
その傍らで目まいを踏みしめる。目まいの歌はたくさんある(たぶん)。女性の目まいというと、どこか生活にしみついている感じがある。この歌も、ある意味、瓦斯の火、ということで台所の歌であり(お風呂ということも考えられるが・・女性の家事と関わるという点では同じ)生活のなかの歌といえるのだが、どこか、日常から離れている感覚もある。
それは瓦斯と目まいしか言っていないからだと思う。そこによぶんな「事情」が介入していないぶん、道具立て的には充分生活じみているはずなのにどこか非日常な感覚が感じられる。「踏みしめる」という言葉も日常性から離脱するような強さをもっている。言い回し的には私は好きではないけれど、この言葉があるから日常的な「事情」から違うところへ飛べたのかもしれない。
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