踏みつけて踏みつけられて帰り来るそのくつのみが月光に濡れ
『なよたけ拾遺』
「木霊」という一連に含まれるがここには他の一連よりは少し現実の影がさしているように読めなくもない。
「踏みつけて踏みつけられて」というフレーズは俗的に読もうと思えばいくらでも読める。しかし、現実の影がさしているといっても、やはりどこか物語の衣をまとっているのであり、月光に濡れるくつは、物語の世界の淡い光をかえす。
なだらかに明日へとつづく橋を絶つそのみなかみに鶴は燃ゆるも
一連最後に決然とした秀歌がある。
私の好みとしては、表出歌のほうなのであるが。「なだらかに」の歌はかたちも調べも歌いきり方も確かに秀歌の趣がある。
しかし、表出歌のどこか言い切っていないところには、とつとつとした陰影が感じられる。
物語をつくろうとして、ふっとどこか洗練さがたわんで、ほつりと出てくるような影。
「濡れ」と言いきりではない終わり方は基本的には現代短歌の中で使われるとほとんどの場合おもわせぶりで私は嫌いなのだけど、この場合は、上句の強さに対してバランスがとれているように感じる。
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